teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


甲賀伴氏について

 投稿者:バンナ  投稿日:2017年 3月23日(木)13時30分42秒
返信・引用
  甲賀伴氏は忍者として活躍したそうですが、聖徳太子に仕えた日本最古の忍者、大伴細人と関係があるのではないかと思っています。甲賀伴氏は伴に改めた後なので時代が違いますが、大伴細人の子孫が忍者家業を続け、甲賀に住んだのではないでしょうか?  
 

越後村松藩堀家番頭筆頭 伴 郷左衛門

 投稿者:曾々孫  投稿日:2017年 1月29日(日)01時10分11秒
返信・引用
  村松藩堀家に使えた伴家は三河の出身。元を辿れば大伴家持が名を連ねる大伴氏です。大伴氏は太古の時代から朝廷の側にあり戦となれば先頭に立って戦う武装集団です。弓を射るときに跳ねた弦が左手を打たないようにした手袋のようなものが鞆(とも)で、そこから大伴氏の名前が生まれました。淳和天皇が崩御されたとき諱が大伴となったため、重なるのを避けて伴氏に改姓しました。戦国時代堀家に使えた伴氏は織田信長、豊臣秀吉の家臣となり、その後徳川家康に使えました。江戸時代、越後村松藩の藩主となった堀家とともに幕末を迎えました。戊辰戦争で村松藩は到幕と佐幕に真っ二つに割れました。曾祖父の伴郷左衛門は冷静に中立を守り戦闘に参加しないよう主君や藩士をなだめましたが堀家の殿様は言うことを聞かず会津若松へ走り、その後上杉家が守る到幕派の米沢にこもりました。村松に残った伴郷左衛門は血気盛んな藩士を抑えなにがなんでも戦には関わるなと頑強に戦闘参加を阻止し最後まで中立を守りました。会津若松では新撰組の土方歳三も加わり激戦を繰り広げましたが、土壇場で越後新発田藩が裏切り阿賀野川沿いに到幕軍が一気に会津盆地になだれ込んだようです。会津藩は新発田藩の裏切りで補給物資も断たれ落城となりました。村松でも会津でも新発田の事をよく思っていません。昔、年寄りは新発田ぎつねと言って忌み嫌いました。明治維新後は、その新発田ぎつねの元に伴郷左衛門が出向き、藩主堀直賀の赦免を願い出ました。新政府は伴郷左衛門が中立を守った事からその事を評価し赦免を受け入れました。伴郷左衛門は米沢で拘束されていた藩主を受け取り行きます。明治になり新潟市に出た伴郷左衛門は、医者になったとか?僕の曾祖母が伴郷左衛門の娘キヨウです。絶世の美女で二回結婚しています。二回目の結婚相手が帝国陸軍村松連隊の連隊長。僕の曾祖父です。伴郷左衛門の子孫は村松には居ません。埼玉県の幸手市にいらっしゃるかも。伴郷左衛門と伴家の墓所は村松の長養寺にあります。堀家の墓は村松の英林寺の裏山の上に並んでいます。堀家は絶えてしまったかもしれません。曾祖母と曾祖父の墓は堀家の墓の近くにあり安らかに眠っています。
村松城址がひっそりと残り、鍵之手に曲がったメインストリートのある村松の町は、いまでも城下町の風情を残してます。
 

広島の伴

 投稿者:広島  投稿日:2016年 7月31日(日)23時53分37秒
返信・引用
  生まれは広島ですが転勤族だったので現在は埼玉に落ち着いています。先祖は浅野藩士で私は広島伴家の15代目です。原爆で70~80基あった先祖の墓は数える程になりましたが、広島のお寺に江戸時代のものも2~3基残っています。元々は1200年くらい前に三河を発祥としその後甲賀に移ったと聞いています。関ヶ原の戦い後伊予松山藩の加藤嘉明公に仕えましたが、懇意だった浅野長重公の肝いりにより浅野長晟公に仕えることとなりました。曽祖父は江戸時代末期に勘定奉行を勤め、明治になってからは広島市長を3期拝命していました。我が家では八幡太郎義家の郎党であった伴助兼が義家公の命により資兼に改名して以来代々、資の字つけているとのことですので「資」の字を使用されたいる「伴」さんはどこかで繋がっている可能性が高いと思っています。  

はじめまして

 投稿者:hom  投稿日:2016年 7月30日(土)02時04分4秒
返信・引用
  東京の伴です。祖母から家系図を見せてもらい先祖には戊辰戦争時の会津若松に伴百悦という人がいました。さらにさかのぼると伏見城の合戦で戦死という方もいました。  

喜連川の伴一族です。

 投稿者:茉莉  投稿日:2016年 5月27日(金)01時50分50秒
返信・引用
  私の家も母方の祖母が喜連川の伴家でした。
色々な言い伝えを聞きました!

川で洗い物をしてはいけない。=昔は食器にも家紋や名前を刻んだりしてあったので、うっかり川に流そうものならば居場所が知れて奇襲される。

焚き火をしてはいけない。=煙が狼煙になってしまう。

犬を飼ってはいけない。=鳴き声で居場所が知れてしまう。

皆さんの様々なお話し、とても面白く読ませていただきました。
 

伴駒藏商店はがき

 投稿者:狐洞書房  投稿日:2016年 4月17日(日)15時07分37秒
返信・引用
  伴駒藏商店はがき、年賀状を発見しました。
綿布商・浅草区北三筋町、の表記です。

お問い合わせは、下記へ。
 

Re: 愛知県出身

 投稿者:愛知県出身の伴です(旧姓)を書いた通りすがり  投稿日:2015年11月24日(火)00時54分18秒
返信・引用
  ばばんさんへのお返事です。

私は大府市出身です。大府には電話帳で1ページくらいは伴姓がいるんじゃないかなぁ?私の地域以外は三河地方に多いようですね。少し離れているのでばばんさんの伴姓とは由来はちがうかもしれませんが、父方の親戚は三河の人も多いようなので何か関係があるのかもしれませんね。
 

広島の伴

 投稿者:tomo  投稿日:2015年 9月26日(土)19時31分11秒
返信・引用
  わたしも広島県の伴です。自分の先祖を調べていますが、大伴氏の末裔のようです。伴義男が応天門の変で失脚後、三河に住んでいましたが、甲賀に移動し、甲賀伴氏になり、本能寺の変で、一族の多くは戦死しました。生き残った伴惟安・惟利父子が、森忠政(織田家家臣森蘭丸の弟)に仕え、森藩士(岡山県津山市)となりました。その孫伴又三郎という人が、郡奉行となった時、妾に産ませた子の子孫が私です。
 

広島県の伴です。

 投稿者:bancha  投稿日:2015年 9月26日(土)14時22分41秒
返信・引用
  初めまして。
私は広島の伴です。もしかしたら、すでに広島からの投稿があったのかもしれませんが、私の知っていることを書きますね。広島市には、伴(ともと読みます)という地名があります。昔、安芸武田氏という強い豪族がいて、ここにはその家老の伴氏の居城があったようです。武田氏は広島市のかなりの部分を支配していたようですが、戦国時代に毛利元就に滅ぼされたとのことです。
その伴氏の末裔と昔父から聞きました。
 

はじめまして。

 投稿者:ハウステンボス  投稿日:2015年 8月24日(月)23時02分8秒
返信・引用
  わたしは、『伴』のまごです。わたしの今の苗字は『伴』ではありませんが明治生まれの祖父が『伴』でした。
長崎で昔は米問屋だったそうです。
昭和に入ってからか?よくわかりませんが、倒産したと聞きました。
こんなサイトがあるなんて、本当にありがたいです。
よろしくおねがいします♪
 

たくさんの伴さんがいてうれしい。

 投稿者:日本人  投稿日:2015年 8月 8日(土)14時44分2秒
返信・引用
  私は、大阪市出身です。私も、名前の由来は気になっていました。一文字で、音読みでばんなんて、日本人では珍しいですよね?  

追伸

 投稿者:ばばん  投稿日:2015年 7月 4日(土)22時51分16秒
返信・引用
  私は蒲郡市出身です。  

愛知県出身

 投稿者:ばばん  投稿日:2015年 7月 4日(土)22時45分45秒
返信・引用
  私も伴と言います。東海地方に多いのですか?今は長野県飯田市にいます。長野県ではほぼいないですよね?どなたか同じ伴つながりで話しがしたいと思いますが…。  

愛知県出身の伴(旧姓)です

 投稿者:通りすがり  投稿日:2015年 4月19日(日)04時16分45秒
返信・引用
  母の旧姓も伴です。
この地方の伴は平家一門の平景清に由来していると聞きました。
近くのお寺にその由来が残っています。
壇ノ浦の合戦後、伊勢から落ち延びた景清は部下の赤羽八太夫の世話により庵を結び、
娘の安否と平家一門の冥福を祈って生涯を終えたそうですが、この赤羽八太夫が亡くなるまで景清の一切の世話をしたそうで、
その赤羽八太夫に対し景清が伴の姓を与えたということです。そしてこれがこの地方の伴家の由来だそうです。

しかし、この平景清という人は全国のあちこちで同じように落ち延びて云々という話があるようなので、
どこまでが本当かはわかりません。
ただ、そのお寺の近くに景清が目を洗ったと言われている井戸があり、まだ祀られています。

平景清ではないかもしれませんが、どこかの武将が戦で落ち延び、お供のものに世話になった礼に伴という苗字を名乗るように言った、ということはあったのだと思います。
供の者としての鑑、としての気持ちも込められていたのかもと思うと自分のことではないですが少し誇らしいような気がしますね。
 

栃木 喜連川の伴一族です。

 投稿者:はじめまして  投稿日:2015年 1月28日(水)13時39分13秒
返信・引用
  母方が栃木 喜連川の伴です。爺ちゃんの葬式の時 喜連川 歴史資料館の方が来て 喜連川の伴のルーツの合戦絵巻を見せてもらいました。
赤い甲冑を着ていました。 喜連川 葛城の伴家では 正月 餅はつかないで 赤飯でした。
僕が産まれた 時には 餅 ついてましたが、婆ちゃんが 音がバレるから 昔はつかない と 言っていました。
婆ちゃんは 馬頭町の源氏の流れのようで、結婚するときに 平家の元に嫁ぐなんて と 深い 巡りがあったようです。爺ちゃんが先に逝き、婆ちゃんが最近逝きましたが、出棺 納骨時に黒アゲハが飛んできました。皆で 爺ちゃん迎えきたわ って 話ししてました。 言葉を超えた 魂の記憶の共有を感じました。  僕は婿に入りましたが、旧正月には 赤飯炊いて 先祖さんと ささやかな新年を迎えたいです。
 

伴一族

 投稿者:門外漢  投稿日:2014年10月27日(月)21時42分30秒
返信・引用
  門外漢で失礼します。
大伴一族の後継者を騙るChrista Jacobsonなる詐欺師と反目しているものです。
伴氏は、家持の大伯父の系譜です。
大伴氏直系と区別する為に伴へ変えたようです。
流刑になった伴義夫が三河で結婚して始まったのが三河伴です。
その子孫は、大罪を犯して甲賀へ逃げます。
それが、甲賀忍者の一部族甲賀伴です。
愛知と滋賀に伴が多いのは、そのためだと思います。
詳しくは、Wikiの大伴氏で検索願います。
ちなみに、Christaなるものは、家持を始祖とする甲賀伴氏の系流の戸猛流忍術という嘘格闘技をアメリカ人へ教えている詐欺師です。副業は、男娼です。

あまりに、日本文化を愚弄しているのでアメリカ人と共に、彼を批判しています。
 

はじめまして

 投稿者:千葉の伴  投稿日:2014年 7月18日(金)19時09分24秒
返信・引用
  はじめまして。愛知県豊橋出身の伴です。今は千葉で暮らしています。父方の兄弟に「伴は平家の流れを汲んでいるが、平家の人間と判らないように平の文字を半にしてニンベンを付けたんだよ」と聞いたことがあります。本当なのかなぁ~と小さいころ思った記憶があります。自分の先祖の話ってロマンがありますね~~。  

(無題)

 投稿者:浜名湖の伴  投稿日:2014年 4月17日(木)22時57分16秒
返信・引用
  はじめまして、自分は浜名湖西岸に住む 伴です
昭和30年代まで自分の部落の、三割以上は伴でした
今では工業が発展し、全国各地から多くの方が転入され割合が↓

東三河に関連があるときいてます
 

伴家について

 投稿者:加賀藩 伴  投稿日:2014年 1月31日(金)13時00分32秒
返信・引用
  はじめまして、伴でございます。伴家についてお調べでしたら、加賀藩の伴八矢を遡ると見えて参ります。大伴氏からの直系であり、伴一族のおおもとです。金沢近世史料館に原本が保存されています。なぜ手柄も何もなく、江戸年間を五千石という待遇で過ごせたのでしょう。色々と見えてまいりますね。ちなみに墓は大乗寺です。  

はじめまして

 投稿者:伴 正○  投稿日:2013年11月 8日(金)00時34分31秒
返信・引用
  こんばんは。
私の祖父は日光の出身です。
代々、正○という名前を受け継いでいるようです。
最近になって急に自分の祖先に興味を持ち出しました。
 

(無題)

 投稿者:ギン  投稿日:2013年 8月 4日(日)17時06分43秒
返信・引用
  こんにちは!

長崎の伴です!

僕は、伴家は昔武家だったと聞きました。
それで武士じゃ無くなるときに武士でもなく庶民でもって無いという事で人の半分ということで伴というと聞いたんですが、本当ですか?
 

Re: 元は三重

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月30日(火)10時35分57秒
返信・引用
  > No.123[元記事へ]

伴さんへのお返事です。

一般的に地名の亀山とは古墳を暗示させる場所が多いのです。
もう少し具体的にお知らせくだされば伴様の先祖と私の親族の接点があるかも知れません。
 

元は三重

 投稿者:  投稿日:2013年 7月10日(水)21時11分31秒
返信・引用
  父は三重県亀山の出身です。 祖母が健在ですがここ7年近く訪れていません。回りには他にも伴姓がいたように記憶しています。

 

今でも

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 5月22日(水)17時57分21秒
返信・引用
  > No.121[元記事へ]

まろんさんへのお返事です。


まろんさん返事が遅くなり申し訳ありません。
伴の家系は、遡ると平家一門の流れをくんでおり、栃木には多い家系です。
栃木の旅館(温泉)などは家紋を「蝶」に変えて今でも営業しています。
勿論、尊厳するのは高倉天皇です。
様々写真を撮っていますが「家紋」が一寸見つかりません。
合津若松の山奥の「大内宿」は古式ゆかしい服装で高倉天皇へのお祭りを今でも続けています。

ここに住む人は血縁同士の婚姻のせいかとても血が濃い顔をしています。
それにそんなに栃木とは遠くありませんよね、私は大の栃木フアンでもあります。
 

昔話

 投稿者:まろん  投稿日:2013年 5月22日(水)07時20分16秒
返信・引用
  私の母方の祖父は 栃木県大田原出身の 伴です
祖先は 伴の太郎佐衛門といって 地元の代官だったときいてます
母が昔行った時は 大きな代官屋敷があったそうです
 

Re: (無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 9日(水)17時53分0秒
返信・引用
  > No.118[元記事へ]

ちょこさんへのお返事です。

> はじめまして、現在の名字ルーツを検索していたらここにたどりつきました。
> 私の名前は北原です。
>
> 親からは、戦国時代は、九州地方の武家と聞いております。
>
> その事ににより、伴氏の流れを汲んだ肝付氏の庶家と思います。
ちょこようこそ。
実は伴家は1600年以前からあった家系で大友の家持の時代に至ります。(家持の一字を貰い受け伴と名乗るようになりました)
後年、鳥取の伴家が広島の吉田家に嫁いだのが偶然でしょうか北九州の武家 吉田家でした。
ですから私は吉田と名乗っております。
その後伴家は屯田兵として北海道に渡りましたので、伴・吉田の両家が北海道の入植初代となっております。
北原様はこの点に何か共通するものがありましょうか?
なを広島の吉田家では当時、県知事(県令)を拝命したが断ったと言うエピソードもあります。
 

Re: (無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 9日(水)17時15分53秒
返信・引用
  桑名の伴さんへのお返事です。

> 三重県桑名の伴です
>
> 我が家は戦前は桑名近郊の地主だったそうです。何代前かはわかりませんが、伴又七が、桑名市になる前の城南村の村長だったとも聞いており、その名から養老山脈に『伴七山』と言う山があると聞いた

ことがあります。

桑名の伴さんようこそ。
伴家の先代は、大伴の家持の1字を拝命し、後年は鳥取の池田氏の馬周り役(現在では機動隊長)の
役にあったと伝えられています。
伺いますが、屯田兵で北海道に入植した訳ですが、何かそのような関係した事をお聞きになったりした事はございますか?
あるいは家計譜などがあり、当HPと関係することはございますか?
これが解ると北海道伴家との共通点が見えてくるかもしれません。
 

(無題)

 投稿者:ちょこ  投稿日:2012年 5月 4日(金)18時45分29秒
返信・引用
  はじめまして、現在の名字ルーツを検索していたらここにたどりつきました。
私の名前は北原です。

親からは、戦国時代は、九州地方の武家と聞いております。

その事ににより、伴氏の流れを汲んだ肝付氏の庶家と思います。




 

(無題)

 投稿者:桑名の伴  投稿日:2012年 3月23日(金)09時06分14秒
返信・引用
  三重県桑名の伴です

我が家は戦前は桑名近郊の地主だったそうです。何代前かはわかりませんが、伴又七が、桑名市になる前の城南村の村長だったとも聞いており、その名から養老山脈に『伴七山』と言う山があると聞いたことがあります。
 

ようこそ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月20日(火)14時16分6秒
返信・引用
  くすしさん、伴栃木さん、ようこそいらっしゃいました。
返答が遅くなり申し訳ありません。
私のルーツは鳥取県の伴です。
家の方に、自分の伴は鳥取と関係があるか聞いて見て下さい。もし親戚や系譜に伴があり、かつ鳥取に親戚・遠戚があれば、私達が伴家の系列にあるかもしれません。
栃木の伴家は平家の落人とも考えられます。
ご自宅に家系譜がある方は、ここの伴家と繋がりが無いかをご確認下さい。
なにせ大坂冬の陣からの家系はしっかりしていますが、文字を判読できないほどのお墓も多数あるのです。

伴の一文字は大伴の家持の一字を拝名したものですので、相当に古い歴史があります。
 

はじめまして

 投稿者:くすし  投稿日:2012年 3月15日(木)14時05分26秒
返信・引用
  ネットを彷徨っていたらここにたどり着きました。
私は、活躍してはおりませんが、今は兵庫に暮らす「伴」です。父の出身は滋賀で、本家も本家に近い人々も琵琶湖の周りに住んでいます。
同姓のひとというのは、なんだか奇妙な感じがします。ときどき立ち寄って皆さんの書き込みを拝見させていただこうと思います。
 

(無題)

 投稿者:伴栃木  投稿日:2012年 2月15日(水)17時11分39秒
返信・引用
  現在は東京在住ですが、栃木出身の伴です。伴は全国に散らばっているんですね~。  

こんにちは

 投稿者:将太メール  投稿日:2012年 1月27日(金)21時24分39秒
返信・引用
  私は三重県の伴です
私は父方が伴という苗字なので
たまたまここにきたというわけです
現在私は中学生です。
全国の伴さんへ、
同じ伴同士ですから、仲良くやって行きませう!
 

ひかりの祖母 様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 9月18日(土)10時06分53秒
返信・引用
  ひかりの祖母 様 お早うございます。
私こそ今後とも沢山の事をお教えください。

最近、相次いでこのサイトを訪問される方が多く、日本全国に拡散した伴家をルーツから始まっていると思うと不思議な気持ちになります。

これからそちらも寒くなりますのでご自愛ください。
 

管理人様

 投稿者:ひかりの祖母メール  投稿日:2010年 9月17日(金)08時06分4秒
返信・引用
  色々ご面倒お掛けしました。高齢に成りますとパソコンの仕組みも中々覚えられません。有難う御座いました。  

Re: 管理人様

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 9月17日(金)06時53分56秒
返信・引用
  > No.109[元記事へ]

ひかりの祖母さんへのお返事です。

> 再度投稿致します。PM5:22分にお送りした「投稿者」と「メール」がそのまま「投稿欄」
> に残って居るのですが、どうしたら良いので消化か?。

この問題は一度入力した事項の再入力をパソコンが覚える仕組みを利用しています。

次回の投稿時にマウスを使用して不要な情報を消してください。
 

管理人様

 投稿者:ひかりの祖母メール  投稿日:2010年 9月16日(木)17時45分24秒
返信・引用
  再度投稿致します。PM5:22分にお送りした「投稿者」と「メール」がそのまま「投稿欄」
に残って居るのですが、どうしたら良いので消化か?。
 

管理人様

 投稿者:ひかりの祖母メール  投稿日:2010年 9月16日(木)17時22分41秒
返信・引用
  管理人様
早速お返事有難う御座いました。メールナンバー入れて置きました。
無理な事を申して済みません。お返事をお待ちしております。
 

Re: 光の祖母

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 9月16日(木)01時44分47秒
返信・引用
  > No.106[元記事へ]

光の祖母様へ。

肝心な事をわすれました。

投稿する時に「投稿者」の下に「メール」とありますのでそこにメールアドレスを入れて下さい。
物騒な世相ですのでメールアドレスは正しく入力して下さい、だたし1度だけですよ。

それでは再度の投稿をお待ちいたします。
 

光の祖母

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 9月16日(木)01時40分23秒
返信・引用
  > No.105[元記事へ]

光の祖母さんへのお返事です。

> 初めまして。
> 私は「益次郎・ユキ」の次女です。「管理人」さんは「吉田貞子」さまのお孫さんですか?
> 貞子おばさまには思い出が御座いますので、色々お聞きしたい事もございます。出来ましたらメールでご連絡をしたいのですが「投稿者」欄の次の「メール」欄にこちらのアドレスを記載すれば、管理人さまにアドレスを伝えることが可能でしょうか?宜しくお願い致します。

光の祖母様、ようこそおいで下さいました。
確かに私の祖母「貞」の孫にあたります。
祖母には昔話を聞いたり父の幼少の話を聞いたりした事が昨日の様に思い出されます。
曽祖父が武人・武士の気質が強かったせいか祖母も晩年までしっかりとしていて、今の私たちに大切な事を沢山残してくれているようです。

メールアドレスをお送りします。
 

吉田様

 投稿者:光の祖母  投稿日:2010年 9月14日(火)14時49分22秒
返信・引用
  初めまして。
私は「益次郎・ユキ」の次女です。「管理人」さんは「吉田貞子」さまのお孫さんですか?
貞子おばさまには思い出が御座いますので、色々お聞きしたい事もございます。出来ましたらメールでご連絡をしたいのですが「投稿者」欄の次の「メール」欄にこちらのアドレスを記載すれば、管理人さまにアドレスを伝えることが可能でしょうか?宜しくお願い致します。
 

Re: 千勢様について

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 9月 4日(土)00時59分15秒
返信・引用
  > No.103[元記事へ]

ひかりさんへのお返事です。

> はじめまして、私も今こそは姓も違いますが伴家の子孫だと聞いております。
> 先日、千勢様は大正天皇の生母の姉君だとお聞きしました。また、千勢様自身も宮中にお仕えしていたと。自然にその妹君は、柳原愛子様だと考えられます。
> しかしそれですと柳原愛子様の姉であり、柳原の姓ではないことが不思議です。本当は東原家の者なのでしょうか?私もネットでしか調べていないので、柳原光愛の子全ての名前はわかりません。また、彼女が何故、伴家と結婚し北海道に屯田したのも謎だと家の者はぼやいておりました。
> 私達のルーツ、千勢様についてのお話が続いていたので書き込みさせていただきました。
> 乱文失礼致します。

ひかりさんようこそお出で下さいました。
またお返事が遅れまして申し訳ありません。

全国に『伴家』の名前が残っておりますが、そもそも伴の一文字は「大伴家」に使えてその一文字を拝領したと言われております。
伴家が北海道に移住したのは帯刀不可の近代化に考えがついていけず、帯刀が許された屯田兵に志願したとされています。
その頃の伴家は鳥取池田藩の馬周り役、今で言うと機動隊の隊長の様な身分であったと聞き及びます。
さて東原家は代々御殿医として召抱えられており、女性は色才兼備の家計だったとも聞いております。
その為、大正天皇の「大奥」勤務になっていました。
大奥ではその立場と年齢から「姉妹」の呼称が付けられておりますので東原家と柳原家の関係に於いて姓が異なっているケースが殆どです。

また時代背景が武士のリストラ、大奥のリストラの流れで伴家と東原家の婚姻関係が生じたものと考えれば何の不思議もありません。

ただ残念な事に東原家に関する調査が行われず、伴家の13代目の伯父が鳥取教育委員会を通して調査した結果です。
ひかりさんの曽祖父のお名前をお聞かせ頂ければ、もう少し詳しい情報をお知らせできるかもしれません。

宜しく。
 

千勢様について

 投稿者:ひかり  投稿日:2010年 8月28日(土)19時49分43秒
返信・引用
  はじめまして、私も今こそは姓も違いますが伴家の子孫だと聞いております。
先日、千勢様は大正天皇の生母の姉君だとお聞きしました。また、千勢様自身も宮中にお仕えしていたと。自然にその妹君は、柳原愛子様だと考えられます。
しかしそれですと柳原愛子様の姉であり、柳原の姓ではないことが不思議です。本当は東原家の者なのでしょうか?私もネットでしか調べていないので、柳原光愛の子全ての名前はわかりません。また、彼女が何故、伴家と結婚し北海道に屯田したのも謎だと家の者はぼやいておりました。
私達のルーツ、千勢様についてのお話が続いていたので書き込みさせていただきました。
乱文失礼致します。
 

伴家家系譜です

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月15日(土)03時47分6秒
返信・引用
  こんばんはくろべーさん。
とりあえず「伴家家系譜」(昭和58年版)の全体をお渡しいたします。
http://yoshii.mikosi.com/

くろべーさんの曽祖父「伴益二郎」のお名前はその父「伴益三郎」の名前から1を引いたお名前になっていrますね。

私の計算ではくろべーさは第14代の「伴家」の担い手である事は間違いありません。
くろべーさんのご親戚の方で何方か茶色のA4サイズの「伴家家系譜」のお持ちの方は必ずいるはずです。
一度探されては如何でしょうか?

それからくろべーさんから呼ぶ「伴 益三郎」「(東原)千勢」さんは曾曾祖父母が正しい呼び方ですね。
 

家系譜

 投稿者:くろべー  投稿日:2010年 5月14日(金)09時50分6秒
返信・引用
  家系譜については、いわゆる樹状の家系図というものを見ただけで、どこの家のものかは判りません。
リンクのHPを見せて頂きました。間違いなく曾曾祖父は「亀吉」さんであり、曾曾祖母は「チセ」さんのようです。網走の冬子おばさん、遠軽の七郎おじさんは会ったことがあります。他にも聞いたことがある方も多数いらっしゃるようです。

母が北見のことを知らないのは意外です。生まれる前の話だとしても、知ってて当然だと思うのですが・・・私の母の話も推測を交えた話の又聞きなので、精度は如何なものかと・・・

ご先祖様に、「おチセ様」のようなミステリアスな人がいるというのは楽しいですね!ただ、まだ仕事が忙しく、他のやりたい事も多いので、そちらに時間とエネルギーを割くのは難しい情況です。
年に最低1回は北海道に行かなくては気がすまない「北海道中毒」です。今年も尤もらしい理由をつけて休みを取らなくては。
 

ここを呼んで下さい

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月13日(木)21時36分40秒
返信・引用
  参考のURLを添付いたします。
此処が少しでも理解できるとくろべーさんの「チセ家系譜」探索の旅の始まりとなるでしょう。
http://waqosafy.sarashi.com/keifu004.html

ただチセ曾祖母の出身「東原家」は社会的にも高貴な家柄であり、また明治天皇云々の関係もあり~宮内庁は何も情報提供はしてくれない~その調査には多くの時間と資金が必要となる事は間違いありません。
くろべーさんの見られている「家系譜」は伴家でしょうか東原家、どちらの方になりましょうか?ご連絡を頂ければ幸いです。

なお私の姉(次女)はこの件について相当な情報を持っている可能性があります。」
なにせ一部の仮定・推測を交えて話をするものですから面白いには面白いが、結局の事実は見えてきません。
ここが吉田家のDNAの問題となります。
 

すいません

 投稿者:くろべー  投稿日:2010年 5月13日(木)10時33分52秒
返信・引用
  祖父の名前を間違えました・・・「益二郎」です。そして祖母は「ユキ」です。その子供は「男・女・女・男」の順です。その次女が母になります。(長女は50年位前に亡くなったそうです。その他は健在です)「亀吉」という名前も聞いたことがあるような気がします。

北海道に親戚は多く、彼らのルーツの場所は知りませんが、幼い頃に祖父に連れられて森町に行ったことがあります。何人か森町にいるようです。

以前、伴家の系譜を見た時は、あまり興味がなく、「益二郎」さんは「随分隅っこに出てるなぁ~」とか母は女児なので出てないんだ~と言う感じで適当にしか見ていませんでした。

最近、母が、例の「ちせ」さんの不明部分に興味を持っており、少し調べてやるかということで、この掲示板を見つけた次第です。

私は以前、鳥取大学と共同研究を行っていた時期があり、月に1回は鳥取を訪問していました。その頃は、ご先祖が山陰のどこかから北海道に渡ったという程度の認識しかありませんでしたが・・・

「おちせ様」の謎を探るのは難しそうですね!
 

少し調べました

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月13日(木)02時03分26秒
返信・引用
  確かに「伴 亀吉」の四男に「益二郎」その妻「ユキ」とありますね。
堀家などご親戚にありますか?

尚、益二郎の子供は「男・女・男・女」の順に生まれています。
心当たりはありますか??
 

一度、そちらの系譜を見たいものです

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月13日(木)01時54分41秒
返信・引用
  > No.96[元記事へ]

くろべーさんへのお返事です。

> 「伴家家系譜」は母に見せてもらいました。
>
> ちなみに祖父の名前は「益次郎」です。名前を継いだんでしょうかね?母の話だと、祖父は家系に係わる話は一切しなかったようです。
> また、伴農場があった女満別は北見の隣ですので、その点でも符合しているようですね。
>
> 祖父は、戦後に子供の教育のために函館の湯の川に移住しました。その後、東京に嫁いでいた母の元に引越し10年位前に96歳で亡くなっています。
>
> 私と管理人さんは親戚のようですね!鳥取組?の方々とは全く付き合いがありませんでしたので、なんだか不思議な感じですね。

あれ~~本当に不思議な感じがします。
伴家は北海道広くに拡散しておりまして、森町・長万部・北見・女満別と沢山おられるようです。
私の纏めた「伴家家系譜」は旭川在住の伴 孝伯父によるもので昭和53年までの記録です。
このホームページの詳細をご覧になられましたか?
もしや知っているお名前が見つかるかもしれませんね。

そうそうどなたか北見方面で「ハッカ栽培」をしたと聞いたことを思い出しました。

私の苗字は「吉田」です、是非この「伴家家系譜」を読まれて知ったお名前が出てくると
貴方と私は親戚(?)と言う事になりそうです。

古くは「伴」の名前は平安の貴族「大伴」の一字を頂いたという由来があり、男性は学問・商売の才があり女性は色彩兼備と言う系統になっています。
明治天皇も悩殺された一人ですから。

追記
このHPの記録は鳥取県のお寺の過去帳及び墓石の名前・裏書を鳥取教育委員会と一緒に調べた内容です、一度得とご覧ください。
 

ありがとうございます!

 投稿者:くろべー  投稿日:2010年 5月11日(火)09時53分2秒
返信・引用
  「伴家家系譜」は母に見せてもらいました。

ちなみに祖父の名前は「益次郎」です。名前を継いだんでしょうかね?母の話だと、祖父は家系に係わる話は一切しなかったようです。
また、伴農場があった女満別は北見の隣ですので、その点でも符合しているようですね。

祖父は、戦後に子供の教育のために函館の湯の川に移住しました。その後、東京に嫁いでいた母の元に引越し10年位前に96歳で亡くなっています。

私と管理人さんは親戚のようですね!鳥取組?の方々とは全く付き合いがありませんでしたので、なんだか不思議な感じですね。
 

レンタル掲示板
/3