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Re: 千勢様について

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 9月 4日(土)00時59分15秒
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  > No.103[元記事へ]

ひかりさんへのお返事です。

> はじめまして、私も今こそは姓も違いますが伴家の子孫だと聞いております。
> 先日、千勢様は大正天皇の生母の姉君だとお聞きしました。また、千勢様自身も宮中にお仕えしていたと。自然にその妹君は、柳原愛子様だと考えられます。
> しかしそれですと柳原愛子様の姉であり、柳原の姓ではないことが不思議です。本当は東原家の者なのでしょうか?私もネットでしか調べていないので、柳原光愛の子全ての名前はわかりません。また、彼女が何故、伴家と結婚し北海道に屯田したのも謎だと家の者はぼやいておりました。
> 私達のルーツ、千勢様についてのお話が続いていたので書き込みさせていただきました。
> 乱文失礼致します。

ひかりさんようこそお出で下さいました。
またお返事が遅れまして申し訳ありません。

全国に『伴家』の名前が残っておりますが、そもそも伴の一文字は「大伴家」に使えてその一文字を拝領したと言われております。
伴家が北海道に移住したのは帯刀不可の近代化に考えがついていけず、帯刀が許された屯田兵に志願したとされています。
その頃の伴家は鳥取池田藩の馬周り役、今で言うと機動隊の隊長の様な身分であったと聞き及びます。
さて東原家は代々御殿医として召抱えられており、女性は色才兼備の家計だったとも聞いております。
その為、大正天皇の「大奥」勤務になっていました。
大奥ではその立場と年齢から「姉妹」の呼称が付けられておりますので東原家と柳原家の関係に於いて姓が異なっているケースが殆どです。

また時代背景が武士のリストラ、大奥のリストラの流れで伴家と東原家の婚姻関係が生じたものと考えれば何の不思議もありません。

ただ残念な事に東原家に関する調査が行われず、伴家の13代目の伯父が鳥取教育委員会を通して調査した結果です。
ひかりさんの曽祖父のお名前をお聞かせ頂ければ、もう少し詳しい情報をお知らせできるかもしれません。

宜しく。
 
 
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